ごあいさつ 歴史・実績 認定眼鏡士 商品案内 注文後の流れ お問い合わせ
   
眼鏡技術読本の中に
日本初の研磨機が紹介されています。

 

大阪生野区田島町は眼鏡レンズ発祥の地です。



わが国の眼鏡レンズ発祥之地は、生野田島町であります。
安政四年始祖石田太治郎翁がレンズ研磨を
手工業として当地に伝え、
農家の副業とし、明治時代を経て来ました。
大正五年本格的生産に乗り出し
生産高五十萬ダースの規模となり、
昭和十年には、わが国眼鏡レンズの産地
を確立しました。貿易も始まり戦時重要統制産業組合を経て、
昭和二十六年大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合を創立し、
医療用具レンズの生産地として各国に輸出し、
昭和五十年出荷額百七十二億円に達し隆昌を極めました。
ここに百三十五年の歴史と産業の礎を記念し
新たなる決意を後世に伝えます。

平成四年十一月吉日

大阪眼鏡レンズ製造工業協同組合



石田太治郎君は天保二年三月摂津国田島村に生る。
家世々里正たり農耕を業とす。
君幼にして右脚の自由を失し父祖の業を継ぐこと能はず。
謂へらく坐食為すなきは我が志に非ずと
奮念起きて丹波国に往き眼鏡製作の技を習ひ
苦精励其術を極め家に環りて業を創る。
実に安政四年の五月にして君が二十四歳の時なり。
其後伝習するもの年を逐うて増加し今や村之を業とせざるものなく
其利年々四萬円を超え田島眼鏡の名世に著はるに至る。
嗚呼是実に世務を開き恵を後昆に垂るるものと謂うべし。
頃日同士相謀り碑を建て其の偉績を不朽に伝えんとし文を予に請う。
予其美挙に感し又文を顧みて其行実を叙すること此の如し。

大正二年四月

大阪府知事正四位勲二等大久保利武額
大阪府天王寺師学校長従六位勲六等村田宇一郎撰文